2012年に史上最年少でJBC(Japan Barista Championship)にて優勝。2連覇を成し遂げた後、2014年のWBC(World Barista Championship)にてアジア人初の世界チャンピオンに輝いた井崎英典さん。
年間200日以上を海外で過ごすなど、コーヒーコンサルタントとしてグローバルに活躍されています。その井崎さんに、バリスタとはいったいどんな存在か、コーヒーの魅力や業界をどう見ているのか、詳しく伺いましたのでご紹介します。
井崎英典 Hidenori Izaki 株式会社QAHWA 代表取締役 井崎英典(HIDENORI IZAKI)オフィシャルサイト
1990年生まれ。福岡県出身。 高校中退後、父が経営するハニー珈琲を手伝いながらバリスタに。法政大学国際文化学部への入学を機に、㈱丸山珈琲に入社。2012年に史上最年少にてジャパンバリスタチャンピオンシップにて優勝し、2連覇を成し遂げた後、2014年のワールドバリスタチャンピオンシップにてアジア人初の世界チャンピオンとなる。現在はコンサルタントとしてグローバルに活動中。著書:「世界一美味しいコーヒーの淹れ方(ダイヤモンド社)」 |
コーヒーを通して世界を見る
——コロナ禍で多少状況が変わっているとは思いますが、普段はどういう活動をされているのですか?
今もほぼ変わらず、事業のメインはコーヒーのコンサルティングです。商品開発からマーケティングまで一気通貫でサポートするコンサルティングをグローバルにやっています。クライアントは、コーヒーチェーンや、F&B(Food and Beverage)の大手チェーン、スペシャルティコーヒーのお店が主ですね。
——年間200日以上、海外で過ごされていると聞きましたが。
さすがに今は、海外での仕事は難しいですね。もともと海外に200日いるからといって、ずっと大きなクライアントのもとで働いているわけではなくて、アンバサダーの仕事も多いです。WBC(World Barista Championship)では、スペシャルティコーヒーのアンバサダーとして活動をしたりしています。
アンバサダーの仕事は、例えば世界各地から「コーヒーのキャリアパスについて話してほしい」「バリスタという職業について語ってほしい」と依頼されてやっています。でも、そういったものは、このコロナ禍ではできなくなっていますね。
——そうなんですね。少し話はさかのぼりますが、そもそも井崎さんがコーヒーの世界に入られたきっかけはなんでしょうか?
今から15、6年前、高校を辞めてやることがないなと思っていた時に、コーヒー屋をやっていた親から「じゃあ、コーヒーやる?」と声をかけられたのがきっかけですね。やってみたらこれが面白かった。
——そこからどんどんコーヒーの道に?
そうですね。コーヒーというプロダクトが素晴らしいと思うようになって、コーヒーのおかげでいろんな大人に出会いました。コーヒーを通して世界を見ていましたね。特に大きいのは、丸山珈琲の丸山社長との出会いです。丸山社長のような、この世界の基礎を作ったすごい人たちに可愛がってもらいました。そうした出会いを経て、もっと勉強しないといけないと思って、大学にも行きました。
——大学に行かれてからは、どのような感じだったのですか?
親の会社は福岡で、大学をきっかけに上京したのですが、ただその頃……今から12、3年前ですが、東京には、スペシャルティコーヒーの店はなかったんです。
——え? そうなんですか。
皆無でした。ただ丸山珈琲は、当時から世界に通用するブランドで、バリスタチャンピオンでも結果を残していました。働くなら丸山社長のところで働きたいと思っていたので、上京してすぐに伝えました。すると、「会社は長野だけど」と言われて(笑)。働かせてもらったのですが、交通費でバイト代がマイナスになってました。それでも楽しかったです。
一番いい時期に丸山珈琲にいられたと思います。創業から20年たっていましたが、「スペシャルティコーヒーを日本に広めたい」と大手に負けじと会社をちょうどスケールしていくところでした。社長もとてもエネルギッシュで、その社長の身近にいることができて良い経験になりました。
「なぜ?」と考える力が圧倒的に大切な理由
——そんな中でどうして大会に出ようと思われたのですか。
動機はすごくシンプルで、バリスタという職業がカッコいいと思えたからです。バリスタマガジンという業界紙を見た時に、表紙の人がみんなカッコよく見えました。その後、バリスタ・チャンピオンシップに優勝したら載ると知って、出てみようかな、と。
——それで大会に即出られるのもすごいですね。練習もとても大変なんですよね?
ハードだと思いますよ。でも、16、17歳から大会には出ていました。バリスタ大会があったからこそ、この業界で活躍していると思っています。
——練習はどういったものでしょうか?
今みたいにコーヒーのノウハウというものはなかったですね。今思うと、スポコンで、ひたすらいっぱい淹れて、いっぱい飲めば、うまくなると信じてやっていました。
——ひたすら練習を重ねたということですか。
そうですね。今の風潮として、いかに効率的に目的を果たすかというライフハックのようなものが流行っていますが、そういうのではなかったですね。
でも、あの時代にやっていた人が今も活躍しているのは、そういう効率重視でなく、すごく遠回りして色々なことを身に着けたからだと思います。自分にできるのは、これだとあれこれ必死に探って、自分で答えを見つけた人が、今も最前線にいます。
——なるほど、答えを教えてもらうのでなく、答えのないところに自ら答えを取りに行くんですね。
そうです。近頃は、これがテキストの正解だからとテキストに頼りがちです。業界でもそういう人はいますが、世界中の人と仕事して思うのは、「1+1=2」と単純に考える人は役に立たないということですね。
業界にとって「1+1=2」であるという事実はどうでもよくて、「1+1」がなぜ「2」になるのかを考える力の方が圧倒的に大事です。今の人はすぐに答えを欲しがる。多少のことはググればいいので考えない。趣味で終わるならそれでいいと思いますが、プロになるなら「どうしてそうなるのか」と、もがくフェーズが必要です。
——それはなぜでしょうか。
それまで正しいと思われていた既存の常識が、外的環境によって一気に変わってしまうからです。例えば、僕がコーヒーを始めた頃、コーヒーは20秒でショットグラスの白い線まで抽出するのがいいと言われていた。その抽出時間が31秒になったら飲まずに捨てていました。今だとそれはありえない。
ここ数十年のスペシャルティはサイエンスによって変化してきました。科学をバリスタがちゃんと理解して、抽出に応用して戦う時代にあります。科学的バックアップがあることによってコーヒーへの理解が深まり、結果としてコーヒーが美味しくなってきた。「なぜ」と考えることは、コーヒーのまだ見ぬ可能性を掘り下げることになるんです。
——美味しいコーヒーにはそんな背景があるんですね。美味しさというのは難しいですね。人によっても違いそうですし。
そうですね。美味しさというのは、嗜好性があるから難しい。スペシャルティコーヒーにおいて「正しいコーヒー」と言われるものでも、「私は嫌い」と言えてしまうのがコーヒーです。
僕はずっと言ってるんですが、コーヒーは、品質と嗜好を分けて考えるべきだと思います。スペシャルティコーヒーの業界における品質的な正解というものと、嗜好を混同しない方がいい。浅煎りじゃないとダメ、深煎りじゃないとダメ、などと議論がかみ合わないのは品質と嗜好を混同しているからです。大事なのはあなたにとってのベストなコーヒーを出すこと。それはシチュエーションによっても変わります。
バリスタとは「編集する」人
——井崎さんにとって、バリスタというのは何ですか? どういう存在ですか?
僕は、バリスタとは「コーヒーを編集する人」だと思っています。
もともと、バリスタの語源はバールで働く人。「Bar」に「~ista」でバリスタ。イタリアのバールはお酒も食事もコーヒーも作ってサービスします。究極のサービスマンがバリスタ。そこから2000年以降の傾向を見るに、エスプレッソを使って「コーヒーを淹れる人」がバリスタになり、そこから派生して今は、ドリップコーヒー淹れる人もいるし、ラテアート作る人もいるし、コーヒーでお酒を造る人もいる。
バリスタという仕事が、今はそうした「コーヒーを淹れる人」と捉えられているかもしれませんが、今や美味しいコーヒーを淹れるなら、人より優秀な全自動マシンがある。バリスタが「コーヒーを淹れる人」という定義におさまってしまうと、バリスタの職業的価値はなくなってしまいます。
——「編集する」とは具体的にどういうことでしょう?
例えば、美味しいコーヒーを淹れると一口に言っても、高い豆を使っているから美味しくなるというわけではないんですね。それでも、いい生豆を買ったら美味しくなると信じている人がまだまだ多い。プロダクトとしてのコーヒーという視点が、この業界にはないんです。
でも実際にはプロダクトの完成までコーヒーにはいろんな過程があって、焙煎やパッケージをどうするか、抽出をどうするかなど、そういうことで顧客のコーヒー体験は変わってきます。全体でどうプロデュースするかによってプロダクトの質は変わってくるんです。そうしたことをちゃんと組み立てていくこと、ちゃんと編集することが必要です。
——なるほど。バリスタはただコーヒーを淹れる人でなく、そうやって編集する人。バリスタという存在も時代とともに変化するということですね。
そうです。さらに言うと、これからのバリスタは、省人化もしくは属人化の両極に分けられてくると思います。省人化というのは、バリスタがいらなくなる未来もあるかもしれないということです。
このコロナ禍でわかったのは、企業経営にとって最も負担なのは家賃と人です。人の時給は今後も上がっていく一方です。その中で、いかに人件費を含む固定費を抑えて利益を出していくかが、コーヒー店の課題であり鉄則です。
今、一番強いビジネスモデルは夫婦で経営しているところ。このコロナ禍でも、住宅街にある地元密着型のお店で夫婦で経営しているところは、うまくいっています。家賃も低いし、在宅勤務で地元のお客も確保できて、そのうえ夫婦なので人件費もかかりません。そうした現実がある。
一方で、属人化というのは、バリスタに人がついていく時代になっているということ。優れたバリスタは世界中にいくらでもいますし、必要とされています。そうしたバリスタは、実はコーヒーを淹れる技術だけでなく、コーヒーを通じて自己表現する能力が高いんですね。そうやってコーヒーを編集するのが上手な人は生き残る。
コーヒー屋は昼間のスナックとも言えます。(緊急事態宣言中は別として)コロナ禍でもスナック業態は強い。スナックはママに会いに行きますから、飲み物は大したものではなくてもいい。コーヒーの場合は、品質しか見られないところがありますが、コーヒーも同じようにバリスタに会いたくなる空間を作っていく時代だと思います。
コーヒーの編集のために、日本をもっと知りたい
——この一年、コロナがあったり、お子さんが生まれたりと、変化が激しかったと思いますが、何か働き方や考え方が変わったりしましたか?
純粋に子どもの成長に驚いたり、笑ってるのが可愛いなと思ったりしますね。一週間に一日は休もうと決められるようになりました。平日は今まで以上に仕事をしますが、土日のどちらか一日は勉強にあてて、どちらか一日は家族とのんびり過ごすようにしています。メリハリがつくようになりましたね。
コロナを機に、今だからできる勉強があると思って楽しんでやっています。今、思いっきりインプットして、海外に行ったときに全く違うアウトプットをしたいと思っています。
——具体的には、どんな勉強を?
文化的教養を蓄えたいですね。コーヒーの抽出の検証や、論文を読み込んだり実際に試したりもしていますが、それ以上に今後コーヒーを編集していくうえで、日本をもっと知っておきたいと思っています。
今、南部鉄器に興味があって、鈴木盛久工房という寛永二年から400年続いている工房で学んでいます。南部鉄器は茶の湯の世界につながるんですね。で、お茶の稽古をしたり、お茶にまつわる陶器を学んだり、さらに日本の鉄、和銑(わずく)の中でも超レアな玉鋼(たまはがね)の製造現場を見に行ったり……、興味の赴くままにやっていますね。
今、日本の人口が減っていて経済競争力は落ちていく一方です。そんな中で、日本が勝つにはアニメ、サブカルを含めたカルチャー、ソフトコンテンツしかないと思っています。例えば南部鉄器についても、日本独特のわびさび、海外でもimperfect beauty(不完全な美)、asymmetry beauty(不均衡な美)と言われたりしていますが、こういう日本的な美意識も面白い。そういうのを活かしていきたいですね。
——最後に展望を聞かせてください。これからはどういう活動を想定されていますか?
引き続きコンサルティングの仕事はちゃんとやっていかないといけないと思っています。たくさんの人にコーヒーの価値を届けるのはアンバサダーとしての仕事です。
今後も「F1(超絶技巧)」的な仕事を続けていくつもりです。研究開発というのはニッチな仕事ですが、そこで培った最先端技術をコマーシャルマーケットに運用していく、つまり多くの人が利用できる「大衆車」に移植していく。そのつなぎ手が自分だと思っていて、引き続きやりたいことですね。そうしたToCの事業を伸ばしていきたいです。
まとめ
「なぜ」と考えて挑戦を続ける井崎さんは、この変化の激しい時代に、自ら進化を続けている印象を受けました。
さまざまな日本のカルチャーを吸収し、新たなコーヒー文化を生み出してくれそうな勢いも感じられました。
今後ますます、井崎バリスタの活躍から目が離せません! 井崎さん、素敵な時間をありがとうございました。
【井崎英典氏の著書】