セイロンティーと言えば日本だけでなく世界中で愛飲されているスリランカの紅茶です。
しかし、セイロンティーは知っていてもスリランカがどんな国なのか知らない人がほとんどなのではないでしょうか?
筆者である私は2018年8月にスリランカ各地を巡り、セイロンティーだけがスリランカの素晴らしいところではないと強く感じました。
そこで今回はスリランカの文化や巡る中で感じたことを紹介していきます。
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目次
セイロンティーとスリランカ
イギリスの植民地時代にスリランカの茶の生産が盛んになり、そこからセイロンティーが広まったとされています。
「セイロン」という名称は1948年にイギリスから独立した際の国名です。そのことからもわかるように、セイロンティーとは銘柄ではなく、”セイロン地域で生産される紅茶”の総称を言います。
セイロンティーの種類
セイロンティーには代表的な「ウバ」だけではなく、そのほかにも魅力的で珍しい紅茶が何種類もあります。
- ウバ(世界三大紅茶のひとつで高い香りとコクが魅力。ミルクとの相性が抜群。)
- ディンブラ(主に山岳部で作られる。高級品でセイロンティーの王と呼ばれる。)
- ヌワラエリヤ(紅茶のシャンパンと言われるほど華やかな香り。繊細な味わいが特徴。)
- キャンディ(クセがなくスッキリとした飲み口。スリランカで最初に作られた紅茶と言われる。)
- ルフナ(コクが強く香ばしい。チャイなどにアレンジされることも多い。)
セイロンティーの特徴と飲み方
セイロンティーにはカテキンやタンニン・カフェイン・アミノ酸が含まれています。これらの成分はむくみ防止や殺菌作用などがあるので、健康に気を遣う人や女性からも指示されています。
香りや味は銘柄によって様々ですが、本来の味を楽しむためにまずはストレートで飲んで香りや渋みを感じてみてみましょう。お好みでミルクティーやアイスティーにするとさらに飲みやすくなるので、毎日飲むお茶として常飲している人もいます。
スリランカの歴史
スリランカは2500年の歴史がある国ですが、その始まりは伝説として語り継がれています。
分かりやすく年表にまとめました。
- 紀元前5世紀 ヴィジャヤ王が島に漂着し先住民を支配。
- 紀元前3世紀 アヌラーダプラが首都に。仏教が伝来される。
- 11世紀 南インドのタミル人との戦争でポロンナルワに首都移転。
- 13世紀 マルコポーロがスリランカへ。
- 16世紀 キャンディが首都になりウダラタ王国が建国。
- 17世紀 オランダがスリランカを支配。
- 19世紀 イギリスがスリランカを支配。
- 1818年 反乱が起こる。
- 1948年 セイロンとして独立。
- 1958年 シンハラ人とタミル人が対立。
- 1960年 首相のバンダーラナーヤが暗殺され夫人が首相に。
- 1972年 タミル派との内戦が激化する。
- 1978年 スリランカ民主主義共和国が誕生。
- 1984年 首都がスリジャヤワルダナプラコッテに。内戦は激化の一途をたどる。
- 1993年 プレマダーサ大統領が暗殺される。
- 2009年 内戦が終結。
最近まで内戦が続いていた国ですが、現在は凄まじい経済成長を遂げている国のひとつとして注目されています。現在は治安も良く、シーギリヤロックを始め世界遺産が各地にあるスリランカは人気の観光地として栄えました。
行ってみて感じた国民性
私がスリランカに行く前の印象は「インドと同じような場所」というイメージが強く、モノと人で溢れかえっている印象を抱いていました。
しかしそれは大きな誤解で、日本と中国が違う国のように、スリランカもインドと違う国なのです。国が違えば文化や国民性も変わることを肌で実感することができました。
どのような違いがあるのか、実際に体験したエピソードを元に紹介します。
親日国で優しい
スリランカは親日国として有名で第二次世界大戦後、最も早く日本と国交を結んだ国です。この関係は後で解説しますが、スリランカ人は非常に優しく、日本人を見つけると嬉しそうに近寄ってきて困ったことはないかと聞いてきます。
私がパン屋さんで商品を決めかねていると、通りすがりのおじさんがパンを一緒に選ぶだけでなく、袋詰めまで手伝ってくれました。
さらにトゥクトゥクのおじさんも人懐っこく、現地の人しかいけないような観光スポットに案内してもらったり、カメラマンを自らしてくれるなど、優しさに溢れていました。どうしても色んな所を案内したい気持ちが溢れたのか、ずっと手を引いて「来て来て!」と嬉しそうにしているのは今でも印象に残っています。
毎日掃除するほど綺麗好き
私はインドに行った際に溢れるゴミとその匂いに驚いたのを覚えています。
スリランカもインドと同じような所だと思っていましたが、それは間違いでした。
人がごった返す市場や多くのバスが行き交うバスステーション、屋台が並ぶローカルな町など、様々な場所に歩いて観光しましたが、ほとんどゴミは落ちておらず、積極的に掃除をする姿がありました。
トイレに関しても隅々まで掃除が行き届き、公園のトイレも日本のデパートと変わらないほど清潔。東南アジアにしては珍しいほど綺麗な場所が多いため、観光客のマナーも良く快適に観光を楽しめました。
毎日笑顔で暮らしている
スリランカ人はいつでも笑顔が眩しく、こちらまで笑顔になれるような魅力があります。
特に印象的だったのがコロンボにある「ゴールフェイスグリーン」というビーチ。
スリランカ最大の都市コロンボで、平日の午後3時にも関わらず子供から大人まで大勢の人が凧揚げを楽しんでいます。この光景を初めて見る人は「こんな幸せな場所があるのか」と口を揃えるほど、幸せに溢れた空間です。
スリランカ旅行を検討している方は「ゴールフェイスグリーン」を観光ルートに入れてみてはいかがでしょうか?
日本人に最も知ってもらいたい国
親日国として知られるスリランカですが、それには大きな理由があります。
第二次世界大戦に破れた日本は1951年のサンフランシスコ講和会議で国存続の危機に立たされました。戦勝国であるアメリカ・イギリス・ソ連・中国が「日本分割占領」を提唱し、日本は4国に占領される案が浮上。
この危機を救ったのが当時のセイロン(現スリランカ)の大統領ジャヤワルダナ氏です。
「人はただ愛によってのみ憎しみを超えられる」
「人は憎しみによって憎しみを超えられない」
この言葉が戦勝国の心を動かし「日本分割占領」の案は取り消されることになりました。
この事実を知っている日本人は少ないですが、スリランカ人のほとんどが知っている有名な話です。
私がこのスリランカ旅行を通じて日本人にも知ってほしい、いや知っておくべき国だと強く感じました。
まとめ
日本を救ったジャヤワルダナ氏のように、どんな人にも手を差し伸べる国民性は愛に溢れており、その魅力はまだまだ奥が深いと痛感しました。
紅茶やシーギリヤロックだけでなく、現地の人との交流を楽しみにスリランカ旅行してみるのもいいかもしれません。