コーヒー業界の“今”を支えるトップランナーたちにお話を伺うプレミアムインタビュー。

 

第5回となる今回は、1995年に日本で初めてシアトルスタイルのカフェをオープンし、全国に8店舗展開する「ダブルトール」を運営している齊藤正二郎さんを迎えてのインタビューです。

 

新規オープンと閉店とが繰り返されるカフェ業界のなかで、25年近くにわたり続いている「ダブルトール」。

 

直近では、ハワイでジャングルの土地を購入し開墾。コーヒー農園をスタートさせ、その土地に適したコーヒーの育成を手掛けています。さらにはハワイ島産のカカオを使用したチョコレートの製造・販売を始めたりと活動の幅を広げています。

 

そんな齊藤さんのこれまでとこれからについて詳しくお話を伺いました。

齊藤正二郎 Shojiro Saito
有限会社 エス・エス・アンド・ダブリュー CEO
1967年 東京生まれ。米国シアトルで1992年に米国法人を創業後、日本で初めてラテアートを世に発信するエスプレッソ専門店“ダブルトールカフェ”を1995年に設立。 某シアトルカフェの“キャラメルマキアート”のキャラメルシロップの国内輸入販売権を取得。希有なエスプレッソ機器を開発し世界特許を所有している。2017年からはハワイ島のジャングルを開墾し、コーヒー農園を自ら造るプロジェクトをスタート。“農園からコーヒーカップ及びコーヒーマシーン開発まで”を行なっている。バリスタを日本で定着させた第一人者であり、現在も後進の育成に力を注いでいる。

コーヒーをおいしいとは思っていなかった

──22年前にシアトルスタイルのカフェを開設された理由についてお聞かせください。

 

シアトルスタイルのカフェを作ったのは、シアトルにある私の建築会社と日本の会社とを繋げるために1番適切な業種だったからです。そのため、カフェを作ることが目的だったわけではないんですよ。カフェを本業でやっていこうというよりは、数ある事業のひとつという位置づけでした。

 

当時、たまたま日本にまだ入っていなかったものがエスプレッソマシンで淹れるエスプレッソだったので、目新しさもあって持ってきた、という流れです。新たに事業を立ち上げるなら、まだ日本に浸透していないものをやった方がいいだろうと思ったんです。そもそも、私自身がコーヒーをおいしいと思ったことがない人間だったので、コーヒーが好きだからカフェ事業を行ったわけでもないんですよね。

 

──当時、日本のカフェ市場はどのようなものだったのでしょうか。

 

私がカフェを開設した1995年は、ちょうどスターバックスコーヒージャパンの立ち上げ年になります。第1号店のオープンは翌年の1996年度のことですね。それまでは、いわゆる純喫茶が日本の珈琲店の主流でした。スタバと共に入ってきたものがエスプレッソなんですね。

 

当時、コーヒー業界の重鎮たちを集めて九州で勉強会が行われたことがあったんです。「エスプレッソは油が浮いているものであり、その油こそが旨味の秘訣だ」といった話題も出ました。今ではエスプレッソの泡を当たり前のように「クレマ」と呼び、お客さんからも受け入れられていますが、当時日本でエスプレッソを提供すると「コーヒーに油が浮いている」と突き返してしまう有り様でした。

 

日本では、エスプレッソマシンで淹れさえすればエスプレッソだと認識されますが、エスプレッソの本場イタリアでは、エスプレッソは国の命といっても過言ではないくらい大切な飲みものなんです。エスプレッソを守るために、基準を定めた法律まであるんですよ。ただ、日本人はひとつひとつの良し悪しを判断するのではなく、海外からやってきたものは何でもいいものだと思い込む傾向にある気がします。これは私がカフェを始めた当時から今も変わらないんじゃないでしょうか。

世界唯一のエスプレッソマシンツールの開発の立役者は、90代の日本の職人

──齊藤さんはこれまでにさまざまなエスプレッソマシンツールを開発していらっしゃいます。なぜ作ろうと思われたのでしょうか。

 

まず理由としてあったのは、コーヒーブームを作るためのネタとして、ラテアートを取り入れたかったからです。コーヒー事業をやっていこうと思っても、日本の一般の人にはコーヒーの味の良し悪しはなかなか判断ができない時代でした。じゃあ何で広めていこうと考えていたとき、ちょうど1994年頃からラテアートがアメリカで流行り始めていたんです。

 

最初に作られたエスプレッソマシンは、1855年に行われたパリ万博に出品されたものです。イタリア・ミラノの技師だったルイジ・ベゼラ氏が発明しました。現在の熱交換式の技術を持ったエスプレッソマシンは、1960年代にフランシス・イリー氏によって作られました。そこから今に至るまで、大本は変わっていないんですよ。

 

変化があるのは、デザイン性やコンピューター制御など。僕が開発してきたのは、ノズルやシャワープレートといった部品です。

 

──齊藤さんが開発された部品についてお聞かせください。

 

たとえば、このノズルは、カフェラテのミルクを出すときに使うものです。人間の手では作れないほどの細かい泡を作ってくれる構造になっています。本来、ラテアートは短時間で消えてしまうものです。しかし、うちのカフェラテの泡はミクロン1,000分の1mmと非常に細かいため、ラテアートが長時間消えないんですよ。

 

カフェラテのミルクが消えてしまう原因はコーヒーオイルなので、オイルがない紅茶だと本当に泡がいつまで経っても消えません。ダブルトールのティーラテで試してみていただければと思います。また、泡のキメが細かいと、ただの牛乳でも甘味を感じられるんですよ。

 

──なぜ、こうしたツールを開発できるのでしょうか。

 

理由はふたつあって、ひとつ目は私が機械いじりが好きな人間だったから。もうひとつはもともとコーヒーが好きではなかったからこそ、客観的な視点を持っていられたからでしょう。

 

私の世代は機械いじりがしやすい環境で育ちました。ラジオや時計なんかを、分解してみたり自分で直してみたりできたんです。今の子たちは、機械が精密になってしまったがために、こういった経験もあまりできていません。何でもコンピューター制御できるようになってきているため、自分の手で調整したり試行錯誤したりといった必要がなくなってきてもいるんです。

 

ただ、私はまずものに触ってみて、自分の手でやってみる、できるようになるということがとても大切なことなんじゃないかと思っています。

 

あと、私以外の要素でいいますと、確かな技術を持った職人がいたからですね。私のノズルを作ってくれているのは、90代の数人のおじいさんなんです。この人たちがいなくなってしまうと、もう作れない。そんな技術の結晶なんですよ。

 

ノズルに開けられている穴は、水の出方を変えるためにサイズが大小に分けられているんです。さらに、穴の角度も90度ではなく、少し斜めに削ってもらっています。こうすることで、水が出る速度に緩急が生まれ、泡のキメが細かくなる。小さなノズルひとつに、長年研鑽を積んできた職人の技術が結集しているんですね。こうした技術を持っている職人が、あとの世代に続いていないんです。

 

コーヒーの味を語るときも、今の子たちは酸味について語りたい人が多いんですが、その酸味が生焼けからくるものであるのか、きちんと火が通っているうえで残っている酸味なのか判断できていないケースがあります。本当はこの違いがわかるべきで、焙煎技術も身に着けておく必要があるでしょう。

 

ダブルトールの焙煎は、30年近くやってきている人が行なっているんですが、そこまでやり続けてきて、やっと何だか満足できる。それでも、まだまだ向上心があって……という世界なんですよね。

 

 

Vol.2では、現在の齊藤さんが行われている事業や今後のカフェ市場について語っていただきます。

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