2013年12月、僕は当時付き合っていた彼女と決別した。別れた原因を友人たちには「すれ違い」と話していたのだが、実際はそのきっかけはとても情けないものだった。僕がクリスマスのディナーに、餃子のチェーン店をチョイスしてしまったことが、別れの引き金になったのだ。

 

 

僕が失恋したおよそ170年前の話。

 

 

1840年6月、イギリスは中国との貿易関係のもつれから戦争をした。当時イギリスは戦争の原因を「英国・外交官への攻撃」と主張していたが、その理由はとても情けないものであった。イギリスは輸入品である紅茶を懐を痛めず手に入れたいがために、麻薬である「アヘン」を輸出品に用いたことが戦争の引き金になったのだ。イギリスと中国との貿易関係のもつれ、そして『アヘン戦争』へ。

 

 

紅茶が、発端となっておこったアヘン戦争、ボストン茶会事件、この時、歴史はどのように動いていたのでしょうか?。

 

 

1700年代後半のイギリスと中国の貿易関係

今では世界各地で収穫されている紅茶の茶葉ですが、18世紀後半は中国がほぼ独占しており「お茶が欲しいなら中国と貿易するしかない」という状態でした。当時、イギリスでは紅茶が大流行しており中国から茶葉を大量に輸入していました。

 

 

ですが、イギリスは中国に輸出するものが少なかったので、お茶を手に入れるため仕方なく「銀」で支払いをしていました。「茶葉」と引き換えに「銀」――そんな貿易では当然赤字になってしまい、イギリスはとんでもないことを思いつきました。

 

 

「中毒性の高い麻薬(アヘン)を中国に輸出して、その金で茶葉を買おう!」

 

 

にわかに信じがたい話なのですが、実際に行われた出来事です。イギリスから輸出されたアヘンは中国全土に広まり、中毒者が続出します。

 

 

事態を重くみた中国政府は何度もアヘンを禁止する法律を施行しましたが、効果は薄くアヘン中毒者は増加するばかり。そしてイギリスは国の銀を消費することなく茶葉を手に入れることができるようになりました。

 

 

アヘン戦争が勃発した経緯とは?

アヘンが蔓延した中国は国力がどんどん低下していきます。「もうアヘンを取り締まるのは不可能だから、アヘンに関税を掛けよう」という意見もありましたが、中国の官僚『林則徐』という人物は「いや、アヘンは完全に中国から排除すべきだ」という意思の元、徹底的な取り締まりを開始します。

 

 

アヘン商人に対し林則徐は「アヘンで商売をしたら死刑」と宣言し誓約書を書かせます。そしてイギリス人が持ってきたアヘンを、全て没収し焼却処分したのです。焼却したアヘンの量はなんと1400トン以上と言われています。

 

 

林則徐の徹底した取り締まりに身の危険を感じた、中国在住のイギリス外交官『チャールズ・エリオット』は、1839年にマカオに退去します。しかし、元々イギリスのことを快く思っていなかった林則徐はマカオを武力封鎖しエリオットを締め出したのです。

 

 

エリオットは、船上に避難してイギリス政府に救援を求めました。アヘンが原因での戦争だったこともあり、イギリス議会は「不義の戦争」と反対意見もありましたが、僅差で中国出兵が決まりアヘン戦争の幕開けとなったのです。

アヘン戦争の終結。勝敗はどちらに?

 

1840年、イギリスの艦隊が中国に侵攻します。当時の中国は陸上戦を得意としていましたが、海上戦における装備や戦術が整っていません。対するイギリスは世界屈指の海軍を保有していたため、アヘン戦争はイギリスの圧倒的な勝利にて幕を閉じました。

 

 

そして、イギリスは中国に対し1841年、『川鼻条約』(貿易の再開や賠償金の支払いなど)を締結させます。しかしイギリスのやり方に反抗する勢力の動きが活発化し、川鼻条約は反故にされてしまいました。

 

 

中国の条約拒否の報復として、イギリスは再び中国に侵攻し壊滅的ダメージを与え完全に降伏させたのです。そして1842年の8月、イギリスは川鼻条約よりもさらに厳しい『南京条約』を中国に調印させアヘン戦争は終結しました。

ボストン茶会事件とは、どんな出来事なのでしょうか?

今回はアヘン戦争を中心に記事を書きましたが、紅茶にまつわる戦争の話はもうひとつあります。それは『ボストン茶会事件』です。ちょっと変わった名称なので、聞き覚えのある人もいるかと思います。この事件はアヘン戦争の約70年前の1773年に起こった事件です。

 

 

当時のイギリスは、フランスとの戦争により財政が悪化していました。そこで植民地だった北アメリカに、印刷物(新聞やパンフレットなど)を作った際はイギリスに税金を納める『印紙法』を制定しました。

 

 

これを聞いた北アメリカは「それだったらイギリス議会に、北アメリカの代表者を送りたい。」と申し出ました。しかし、イギリスはこれを拒否します。

 

 

この流れから生まれた言葉が「代表なくして課税無し」というものです。イギリスの対応により北アメリカ側の不満は募ります。イギリスは事態の収拾のため、印紙法を廃止しましたが「お茶には税金をかける」と通告したのです。

 

北アメリカでは紅茶が大流行していたため、この通告をきっかけにお茶をオランダから密輸入する流れが広まります。当時、北アメリカはイギリスからしかお茶を買うことができない、とイギリスの法律で規定されていたのです。

 

そんな状況のなか、イギリスからお茶を載せた船がアメリカのボストン港に到着します。アメリカ側はこの船の荷揚げを拒否します。

 

 

船の責任者は事態が落ち着くまで、停泊することにしました。しかし1773年12月16日、停泊中の船を革命派グループが襲撃します。「ボストン港をティーポットにする」と叫びながら、船に積んであった茶箱を海に投げ入れたのです。

 

これをきっかけにイギリスは北アメリカに出兵。アメリカ独立戦争の幕開けになります。余談ですが、「イギリスからの紅茶を買わない」というアメリカの風潮は、のちに紅茶不買運動に発展します。

 

 

今でもアメリカでは紅茶派よりもコーヒー派が多いのは、この不買運動が根底にあるとされています。

 

歴史のもしもと、自分のもしも!

もしも世界に紅茶が存在しなくても、アヘン戦争に似た戦争は起きていたのかもしれない。それは中国という資源の多い国を侵略したい国は当時からたくさんあったと思うし、イギリスは中国を侵略する口実を探していただけなのかもしれない。そんな風に歴史の「もしも」を想像するのは楽しい。

 

だが不思議なことに、もしもクリスマスのあの日、僕が「餃子ではなくローストチキンをチョイスしていたのなら」……そんな風に考えてみてもまったく楽しくない。自分の歴史の「もしも」ほど、後悔にまみれたものはなかった。

 

 

イギリスの紅茶の飲み方から世界の紅茶事情まで

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