コーヒーはカップに注いで飲むだけ。
そんな悲しい事を思っている方、意外と多いと言う事を最近知りました。そんなことは無い、コーヒーは奥深く、そして飲み方や淹れ方によって大きく味が変るのだ。
昨今、「ヌーハラ」なんて言葉が話題となり、「麺を啜るときに音を出すか、出さないか?」という議論が巻き起こったのは記憶に新しい。これは個人的な意見なのだが、食べ物は汚く食べたほうが美味いに決まっている。箸やフォーク、ナイフなどを使わず、本能の赴くまま素手で食材を握り、口に運んだほうが絶対に美味い!当然、ヌーハラなど戯言である。「ズルズル……」なんて生ぬるい。
「ズバッ!ズバッ!ズバババババッバ!!ジュルジュルジュル!グチャグチャ!ゴックン。ゲフッ・・というように食べたほうが美味いのである。
誤解されないように言っておくが、僕の食べ方はお上品であるし、白米に味噌汁をぶっかけることもしない。なぜならマナーという社会性に沿らなければたちまち迫害されるからだ。しかし、ヌーハラはあくまで海外のルールであるし、それに準ずる必要などない。音を出して麺を啜るのが美味しいのなら大いに音を出せばいいと思う
コーヒーの飲み方だって国によって違いがあるのだから。「エスプレッソ・ロマーノ」なんておしゃれな飲み方、知らないだろう。
今回はコーヒーの飲み方の基本とマナーについて少し触れて行きます。
目次
コーヒーの美味しい飲み方 チーズ味カフェオストをご存じ?
“白米に味噌汁をぶっ掛ける”
このスタイルの美味しさは日本人なら分かってもらえるかと思う。不幸なことに、この食べ方は行儀が悪いとされている。僕が生まれ育った家でもこのスタイルは禁忌とされていた。しかし、一度覚えてしまった味とは恐ろしいもので、度々、母親の目を盗んでは白米に味噌汁をぶっ掛ける行為を繰り返していたのだった。
こんな食べ方が有るのだから、コーヒーにだってあるはずだ。そんな思いに駆り立てられて調べたら見事にあった。固形物にコーヒーをかけて飲む……だと?
“固形物に汁物をぶっ掛ける「カフェオスト」”
これは日本だけではなく世界中で愛されている食べ方なのだ。例えば、フィンランドではコーヒーの中にチーズをぶっ込む“カフェオスト”という飲み方があるのだ。
まず、『カップの底に角切りしたブレッドチーズを入れる。その上にコーヒーを注ぎ、コーヒーを飲み干した後にチーズを食す』というスタイルなのだが、名前がずるい!“カフェオスト”なんてかっこいいじゃないか。レッドチーズとコーヒーの組み合わせはまるでティラミスのようなんだとか。なんだかコーヒーとチーズは合わなそう……だけど興味が有る何て方はお試しあれ!
それに比べ
“味噌汁ぶっ掛けご飯”は非常にお下品に聞こえる。やはり日本人の横文字コンプレックスは大きな障害だ。味噌汁ぶっ掛けご飯も“
ジャパンスープ・フューチャリング・ライス”みたいな名前の方が良かったりして?。
容器から味わう斬新なコーヒーの飲み方「エスプレッソ・ロマーノ」
「この世で最も行儀の悪い食べ方とはなんだ?」と問われて真っ先に思い浮かぶのが
「皿を舐める」という行為である。幼少期、この食べ方を断行するものなら、「そんな育て方をした覚えはない!」と、激高した父親に襟首を掴まれ、離れの蔵に閉じ込められたものだ。
しかしコーヒーの本場イタリアでは、カップにレモン汁を塗り、エスプレッソの中に輪切りレモンをぶっ込む“エスプレッソ・ロマーノ”なんてものが存在する。苦味と酸味が混ざり合い、なんとも言えない味わいを醸しだすのだ。カフェロマーノんて呼び方もするそうです。さらにその上に泡立てたミルクををれば、カプチーノ・ロマーノなりますよ!
まぁ、「皿を舐める」行為とは若干ずれるが、容器に付着した味を楽しむという点では同じであろう。幼少期の苦い思い出から、この飲み方がまかり通っているイタリアに嫉妬する。
トルココーヒー占いはマナー違反なのか?
「食べ物で遊ぶな」このマナーの意味は歳を取るにつれ、だんだんと理解できるようになった。例えば、豆類を鼻の中に入れるとか、貝殻をブラジャーに見立てるとか、男女が一本のポッキーの両端を咥えて同時に食べるとか、全くけしからん話ではないか。
トルココーヒーはそんな常識を覆すようなコーヒーの飲み方である。飲み終えたときの行為に注目してほしい。飲み方としては、ジェズヴェという小さい鍋に粉末のコーヒーと砂糖を入れる。そこに冷水を注ぎ煮立たせる。上澄みをスプーンですくい、カップに入れる。ジェズヴェに残ったコーヒーを再度煮立せたものをカップに注いで完成。
ここまでは普通なのだが、トルコでは飲み終わったあと、ソーサーの上でコーヒーカップをひっくり返し、カップ内に浮かび上がった模様で運勢を占うとのこと。トルコでは伝統的な行為で、トルココーヒーは2013年無形文化遺産に指定されている。
「これはマナー違反だ!ヌーハラならぬコーハラだ!」
そんなことを言う人はいるだろうか。
ヌーハラも寛大な心で許してほしいものである。