お正月休みに実家へ帰った時、地元に住む高校時代の友達と久しぶりに会ったの。待ち合わせ場所は、高校の時によく通った、パスタとコーヒーが美味しいと有名なカフェ。久しぶりに入ったカフェはあの頃と、なーんにも変わってなくて、タイムスリップしたみたいな感じだったわ。
私たちも高校時代を思い出して、うっかりその頃好きだった人の話とか話し始めちゃったわけよ(苦笑)今思えば、ものすごくイタイ思い出を互いに知ってる2人だからこそ、何度もコーヒーを吹き出しそうになっちゃった。そんな時に、友達がふと漏らした言葉がなかなか深くてね。
「あの頃ってさ~、がむしゃらに好きって気持ちに素直で、その気持ちを大事にして、あの頃は過ごしてきたけど、なにが好きだったかって言われると、なんにも思い出せない(笑)でも、ただ素直に好きって気持ちだけで動けてた自分も、やっぱり若くてよかったな。」
ですって。なんだかものすごく共感しちゃったのよね。その時代その時代の「好き」ってきっと、違うものなのかもね。
そうなってくると、今現在の私たちの「好き」って? ってなってきたの。まるで女子高生みたいに語っちゃったわよ。お正月休みバンザイ。
友達の答えは「尊敬できるのに、気は使わない人」
私は「疲れた夜でも気負わずに会える人」
……自分たちで言うのもあれだけど、だいぶ落ち着いた回答だった(苦笑)
さすが、女子高生から○年経つだけあるわ。
友達が言うには、尊敬がないとやっぱり恋愛感情は生まれない。尊敬なしの感情で付き合うと、2人の意見が食い違った時、どうしても相手に譲ることができないのよね。でも尊敬の感情だけだと自分が委縮しすぎちゃって、本当の自分が出せない。それだと結局うまくいかない。だから、気は使わずに尊敬も出来る人が理想。
そして私。表面だけの「好き」だと、疲れてる時は出来たら会いたくないって思ってしまいそう。だって、疲れているのにまた元気を出して、お化粧直して、相手に気を使ってって。ぐったりよね。そんな恋愛をしたこともあったような、なかったような。
ここ数年は「疲れたそのままの自分」も見せることができたり、「今日は、ほんとに疲れた」って言える相手が理想になった。無防備な自分を見せれるって、心を許しているなによりの証拠だって考えるようになったのよね。もちろんそれは、だらけるって意味ではないわよ?
私、思うのよね。
2人が求めた根底は、きっと「安心感」なのかもしれないって。
10代、20代、もっと自分が元気いっぱいだった頃は、刺激的でかっこよくて年上で……とか言ってた時もあったような気がする。あの時の私たちが必要だったのはそんな「好き」だったのよね。
時間が流れて、それぞれいろんな恋をして、辿り着いた今の「好き」は「安心感」だった。たぶん、地に足をつけて恋や仕事をしたいお年頃なのかも、ね。
さて。あなたが今思う「好き」の定義はどんな感じ?
あなたももしかしたら、昔の自分とは全然違う「好き」を求めているかも。自分を見直すいいきっかけになるから、おすすめよ。



