大学時代の男友達が亡くなった。「一度は治ったって安心していた癌が再発して、今度は脳に転移して、今朝亡くなったよ」と、日曜日の夜に連絡があった。
出会いから約20年。永遠にさよならをする日が、こんなに早く来るなんて誰も思っていなかった。
私達は、大学時代のサークル仲間だったの。私達の代が初代。同期は両手で収まる位のメンバーだったからこそ、ひとりひとりに対する思い入れも強かった。そして私達は、本当に仲が良かった。誰が誰を好きになったとかいろいろあったけど、何故かみんなが片思いの一方通行。誰ひとりとしてカップル成立しなかったのが良かったのか良くなかったのか、気まずいメンバーという存在皆無の私達。
それぞれが大人になって、それぞれの道を歩くようになった今でも、私達は定期的に会っていたの。そんな中でも、亡くなった友達は本当に朗らかな奴だった。みんなが「あーでもないこーでもない」と騒いでいる中、少し輪から外れたあたりでその様子をニコニコしながら見ているような奴だった。
大学時代、奴に浮いた話はなく、いつも誰かの相談にのっていた。色がとても白くて、少しくぐもったような声で、黒目がちで、からかわれてもバカにされても、心から楽しそうに笑っていた。私達は、そんなあいつが、本当に本当に大好きだった。
大学時代こそ地味でモテなかったものの、その人柄のよさを見抜いた女性が今の奥様。結婚して子供が生まれて、きっととても幸せな家庭を築いていたはず。
……人生は、本当に。何が起こるかわからないね。
コロナだからと会っていなかったメンバー達との久しぶりの再会は、葬儀での席。全てを終えた後、「思い出話で弔おうよ」とみんなで当時、通っていた思い出のカフェに移動することに。大学時代、私達は明大前のカフェにほぼ毎日集合していた。あいつはいつも、決まってカフェラテに角砂糖を何個も入れたあっまあまの物を飲んでいたっけ。
あの頃自然と決まっていた自分の席にみんなが座った。あいつの席には、甘い甘いカフェラテを置いて、みんなが思い出話を話し始めたの。
同期のメンバーの中でも一番遅い時期での加入だったこと。大学1年の春、高校時代の制服を引っ張りだして、みんなで明大前を闊歩したこと。千葉の岩井海岸まで理由もなく車で行って、泊まるお金がないからそのまま引き返してきた大学2年の夏。卒業してからはみんなお金にも余裕が出てきて、メンバー全員でいい旅館に泊まった年の暮れ。メンバーの結婚式の度にそれぞれの家に集まって、催し物を考えまくった遠い夜の日。
気付けば、みんな泣いていた。アラフォーのいい大人たちが、飲む人のいない甘い甘いカフェラテを見て、全員号泣していた。
そんな中、メンバーのひとりが泣きじゃくりながらこう言ったの。
「実は私。大学時代、あいつのこと好きだったんだ。今度会ったら、実はね!って言おうと思ってたのに。もう、一生言えなくなっちゃった」
誰もが知らなかった新事実。ここにもひとり、一方通行の片思いをしていた子がいたなんて。その女子は超絶美人の華やかモテ女。当時からモテ具合は半端なかった。ものすごい人数の男子から告られまくっていたのに誰とも付き合わなかったのが当時の七不思議になったほど。
まさか、そういうことだったなんて! 今更ながらの衝撃的事実に、みんな気づけば涙が止まっていた。
まるで大学時代に戻ったみたいに、この案件どうするよ? と話し合った結果、奥様には申し訳ないが、墓前でしっかり報告をしようということに。生きていたら、あいつは一体どんな顔していただろう。そういえば、一方通行の恋ばかりだったあの頃、あいつにも好きな人はいたのかしら。
もし、あいつもこの子のことが好きだったら、未来は変わっていたのかな。そんな他愛のないたらればも、あいつを含めたメンバー全員で淡い思い出に浸ることも、今となってはもう叶わない。
私、思うのよね。
伝えたいことは、今すぐにでも伝えた方がいい。
「今度会った時に」「そのうちタイミングがあった時に」
そう思っているうちに、相手もしくは自分自身が、どこか遠くに行ってしまうかもしれないから。
人は、いつ死ぬかわからない。そんなの誰もが頭ではわかっていること。
こうやって実際に自分の身に起きて、初めて痛感するのよね。
そして、きっとどれだけ後悔しない日々を生きてみたって、最期は「あの時こうしていれば」って悔やむ瞬間があると思う。その後悔がひとつでも少なくなるように、私達は生きていくしかないのよね。
あなたがもし、今誰かに伝えたいことがあるならば。
今すぐ。本当に今すぐに。
その想いを、届けてほしい。

