アイスコーヒーの季節もそろそろ終盤。
最近はもっぱらホットを頼むようになってきた。
友達がお土産で買ってきてくれたキリマンジャロのコーヒーが美味しすぎて、最近はキリマンジャロに首ったけの私。
この前休日にふらっと入ったカフェにもキリマンジャロがあったからね、迷わずそれを注文して、昼下がりのコーヒーを楽しんでいたんだけど。
思わず、「あぁぁ。それ、分かる」って頷いてしまった会話が聞こえてきたの。
あらゆる女性の不安を一言で言い当てたこの言葉。久々にぐさっときたの。
「私、幸せに浸るのがこわい。」
カフェにいた彼女はそう言ったの。
これがさ、どや顔でイキイキとした女が言ってるんだったら、「はいはい自慢ね、おなかいっぱーい」で終わるんだけど、その彼女は言葉そのまま、本心で幸せに浸ることをこわがっていたの。
ある程度生きて、いくつかの恋愛をしてきた女性なら、きっと一度は経験したことがあるはず。
どれだけその瞬間が幸せでも、別れがきてしまった恋愛を経験した女性が必ず陥るその恐怖。
幸せって思う指数が高いほど、その幸せを失った時の絶望感は半端ない。
それでも時間は人に優しく、少しずつその人の心を癒していくのよね。そして「あぁ、私、もう一人でも大丈夫」そう思える日が遅かれ早かれ必ずくるの。
でも、そうなると……
ほぼほぼ間違いなく、素敵な恋が待っているのよね。なんでかって?
だって、一人でも輝いている女性よ? 男が放っておくわけないじゃない。
そしてまた、女性は恋をするの。でも、ここからが問題。一人身の時は、恋をしていないから傷つくことも少ない。自分対自分でしかないから、自分が傷つかずに楽しめる暮らし方を送っていける。
でも、恋は相手ありきの関係性よね。そうすると、一度深い傷を負った彼女はこう思うわけ。
「また傷つくのが、こわい」
幸せなら幸せなほど、それを失うのがこわいから、そう思ってしまうのよね。
でもだからこそ、思うのよね。
もう一度、幸せに浸れる勇気をもってみない?
一度傷を負った経験がある人が、もう一度幸せに浸る勇気を持つのってね、ものすごく大変なのよ。
だって普通に考えて、誰だって傷つきたくなんかないでしょう?(笑)
でもね。幸せに浸っても浸らなくても、将来なんてなるようにしかならないの。こうすれば幸せになれる! っていう確証なんか、誰にもないのよ。みーんな一生懸命、あくせくしながら幸せを探したり、守ったりしているの。だったら、浸っちゃったほうがよくない?
なんかごちゃごちゃ言っちゃったけど、要は、今そこにある「幸せ」をこわさも全部ひっくるめて抱きしめちゃえばいいのよ。
例えば、あなたのいう「幸せ」が
・好きな人が、自分のことも好きだと言ってくれたこと
・大好きな人が、いつも隣にいてくれること
・手を繋いで道を歩けること
・おやすみをいって同じベッドで寝られること
・寝顔の幸せそうな顔を眺められること
・季節の移り変わりを一緒に感じられること
だったとする。
幸せだなって思うと、そのすぐ隣には「この幸せがもしなくなっちゃったらこわいよねぇ。素直に喜んでいいの? また傷つくかもしれないよ?」って、過去の自分があなたにそっと耳打ちしてくる。
そんな時は、もう思い切って「こわくて当たり前よ。傷つくのももちろんこわい。でも、私は全力でこの幸せを噛みしめる!」って開き直っちゃえばいいわけ。こわいのも全部ぜーんぶひっくるめて、「でも幸せ!」って思っちゃえばいいわけよ。
結構楽になるわよ、これ。
その時幸せだったってことには間違いがないのなら、その瞬間の幸せに思いっきり浸れる勇気をもてたら、もしかしたら、もっと幸せを感じれちゃうかもしれないわよ?もしかしたらそっちの方が、本当の幸せに近づくかもしれない。
別に幸せの浸り方は千差万別でいいと思うの。ぐっと静かに噛みしめるのもアリだし、「あぁぁ嬉しい。楽しい」って口に出すのもアリ。相手に「こわいけど幸せなの」ってそのまま伝えるのだって、アリ。とにかく今自分が幸せな状況にいること自体に感謝するの。
将来の幸せが不安だから「幸せに浸るのはこわい」という気持ちは痛いほどよく分かる。でもさ、その時の幸せに浸れない人が、その先に待つ大きな幸せを受け止められる?
私自身もそこまで達観できていないけど、その答えはきっとNO
神様はいるかわからないけど、今目の前に幸せをひとつずつ噛みしめて、感謝していけた人だけが、その先にある大きな幸せを見つけられるんじゃないのかしら。
っていっても、実際そんな簡単じゃないのは、よく分かるわよ?(苦笑)
でも、今言ったような考え方をすれば、少しは「幸せに浸る勇気」を自然に持ち始められるんじゃない?
そんな風に思えることを、そっと祈っているわ。

